本会について

概要

古都奈良を拠点にして活動する、かな書道研究のグループなので、「青丹会」と会名を決めました。
「青丹よし」はご存知のとおり奈良にかかる枕詞です。万葉集には「青丹よし」で始まる歌は十首を超えますが、巻三にある小野老の「青丹吉 寧楽乃 京師者 咲花乃 薫如 今盛有」を青丹会のイメージソングとしています。
櫻は日本人のもっとも愛でる花の一つです。青丹会に集う会員一人ひとりを桜の花に見立て、会員同士の切磋と研磨により独自の花を咲かせることが青丹会のテーゼです。万葉集に詠まれている山桜は、今も自然交配により新しい種を生み続けています。書の研鑽が単に師風の踏襲ではなく、会員が相互に切磋することで、その人なりの美しい花を咲かせることが会の姿勢なのです。

変遷と成り立ち

青丹会の母体は県立奈良高等学校の卒業生たちが同校で教鞭をとっていた平田華邑の下に集い、立ち上げた書道研究団体「宝相社」です。この「宝相」は正倉院の御物の装飾に使われている宝相華からきています。
その華邑は、平成三年(1991年)に開催された第二十七回宝相社書展の盛会を夢見ながら直前に病没しました。
華邑の死後、ご遺族の意向もあって会名を「青丹会」と改称しなければならなくなったことは重ねての大きな試練となりました。しかし、平成五年(1993年)に第一回青丹会書展の開催にこぎつけ、会員の離散もなく以前に増して活発な書道研究の組織を維持できたのは、初代会長松塚玲糸を中心とする幹部の献身によるところが大きい。
平成二十二年(2010年)、吉川美恵子の日展新審査員就任を機に松塚玲糸に代って吉川美恵子が会長に就き、松塚玲糸は相談役として新会長を補佐し今日に至っています。

書に対する姿勢

書の研鑽については、平田華邑の基本姿勢をそのまま踏襲し、「古典に立脚したかな書の品性を大切に、線の鍛錬と余白美の追求」を主眼にしています。
また昭和の三筆の一人に仰がれる日比野五鳳先生の書を研究することも大きな柱としています。

書の活動について

  • 書道雑誌「青丹」の発行(隔月)

  • 研究会・錬成会の開催

  • 青丹会書展を主催

  • 日本書芸院展、読売書法展、日展等、各種展覧会に作品を出展

お問い合わせ

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